西村真悟先生の時事通信を読んで


西村眞悟先生のメールマガジンより抜粋転載

三月十日、害務大臣、頭凶大学、空襲、そして陸軍記念日
                         No.494 平成22年 3月12日(金)

 民主主義は、「今までの政体を除けば最悪の政体だ」、と言ったのはチャーチルだと思う。当然彼はイギリス人だからイギリスの歴史を念頭においてこの話をしたと思う。
 従って、日本人である私は、日本の現状を観て、チャーチルの話に囚われることなく、今の我が国の政治は、「今までの政治を含めて最悪だ」と言いたい。この政治を生み出した選挙は、国民を国費を使って騙す最悪の詐欺のからくりであった。
 三月十日の産経朝刊一面には、外務省密約問題に関する有識者委員会(座長 北岡伸一東大教授)が、九日、日米間の四つの密約を検証した報告書を「岡田克也外務大臣」に提出したと書いてある。そして、見出しトップは「核持ち込み密約認定」、「首相(非核)三原則堅持」とある。
 この、また出てきた「東大教授」。外務大臣にも、この「有識者」にも、開いた口が塞がらない。彼らは、外務省を害務省に、東京大学を頭凶大学にしている。
 十日の朝十時に、○○国駐日大使と彼の家で会っていた。そして、イランのことを話していた。彼は言った。
「イランの核開発の問題は、全世界の問題だ。テロリストが核を使う恐怖に直結する問題だ」。そして続けて、「私は、日本の政治に意見を言う立場ではないが、国にも人にも秘密はある。秘密のない国はない。一切の秘密を認めないならば、何もできない。外務大臣は、愚かなことをしている」。
 もちろん私は、大きくうなずき同意した。
 この外務大臣と東大教授が、アホなことをしているのを受けて、内閣総理大臣たる者何をすべきか。総理大臣は、この愚行を建設的な方向に転化させる責任がある。それは、まず次のように述べることである。
非核三原則は、過去にもなかったし今もないし未来にもない」
「先人は、あの時代状況のなかで、よく耐えて我が国の核抑止力を確保してくれた。
 しかし、今や国民は核の問題を正面から見つめるようになった。従って、政治は、正々堂々と核を議論して、もはや核をタブー視してはならない」
 そのうえで、総理大臣は、この外務大臣を解任する。そうすることで、この愚行がもたらしている我が国の国際的な信用低下を止める。以前、○○まきこというむちゃくちゃな外務大臣がいたが、岡田氏はもっと酷い。
 しかしながら、総理大臣は、非核三原則は堅持する、という。それも、害務大臣と頭凶大学教授の愚行を受けて之を言う。
 我が国西方の、中共北朝鮮、ロシアの核が見えないのか。彼らは、たとえ全国民がその核を見ていなくとも、自らはそれを見つめ抑止する国家と国民に対する責務がある。

 三月十日、六十五年前の今日、アメリカ軍のB29による東京大空襲があった。カーチス・ルメイという軍人が、今までの軍事施設に対する爆撃から、銃後の住民を焼き殺すために考案した焼夷弾による東京の人口密集地帯に対する包囲殲滅爆撃が行われたのである。この焦熱地獄のなかで、十万人以上の女子子ども老人が焼け死んだ。
 昼、浅草公会堂で東京大空襲資料展をしていた。そして、母と子の焼死体をはじめおびただしい黒こげの人々の写真の前で、深く頭を下げて合掌した。
 硫黄島戦や東京大空襲に参加したアメリカ軍人からの聞き取りを見ると、彼らは日本人を人間と思っていなかったことが分かる。
 そして、この空襲方法を考案したカーチス・ルメイであるが、一九六〇年のキューバ危機の時にアメリカ空軍の参謀総長をしており、キューバへの絨毯爆撃を主張した。
 仮にこれが実行されておれば、アメリカに核が落ちていたと思われる。後日判明したことだが、キューバにはアメリ偵察機が把握していた以上のミサイルが既に運び込まれていたからである。
 このカーチス・ルメイに対して、日本政府は航空自衛隊育成に貢献したとして勲章を授与している。彼に焼き殺された人、三月十日の東京だけで十万人、以後、大阪はじめ、日本のあらゆる都市への爆撃は民間人を焼き殺すために行われた。日本政府は、この無量の犠牲者の思いを知らなかったのか。
 アメリカ軍は、三月十日が陸軍記念日だと知っていて、東京を空襲した。

 この三月十日、我々仲間は、東京の九段会館、昔の軍人会館において、陸軍記念日乃木希典を語る会を開催した。
 百五年前の三月十日、我が帝国陸軍満州奉天においてロシア軍を破った。仮に、この日に敗北しておれば、我々は日本人として生まれてはいない。従って、この日こそ、真のナショナルデーである。
 また、乃木希典閣下は、旅順と奉天において勝利の主役となった第三軍司令官である。つまり、国家に勝利をもたらした軍人である。
 しかし、日を経るごとに、乃木閣下に対する評価を貶める風潮が濃厚になり、終に愚将とされるに至った。そして、乃木閣下に対する評価が落ちるに従って、我が国の社会も劣化した。
 血を流して日本人が国家を守った日と、国家に勝利をもたらした軍人を忘れて我が国に未来はない。
 従って、陸軍記念日に乃木さんを語る会をさせていただいた。
 私の乃木希典閣下に対する思いについては、また改めて書きたい。
 なお、運命の奉天に一番乗りをした部隊は、第四師団の大阪第三十七連隊第二大隊である。
 彼らは、明治三十八年三月十日午後五時、奉天城内に突入して高々と日章旗を掲げた。
 そして、この名誉ある部隊と同じ連隊番号を引き継いでいる連隊が今も大阪にある。大阪信太山に駐屯する陸上自衛隊歩兵第三十七連隊である。
 (実は、これが言いたかった。先日、またも負けたか八連隊と言われる通り大阪は弱かったんですねと誰かに言われた。その時、いや、大阪の兵隊は強いんだ。奉天一番乗りだと答えた。)(了)


【神鬼感想】
私は元航空自衛隊のナイキミサイルオペレーターであったが、元々地対空戦闘部隊…いわゆる高射隊は陸軍に属していた。
近代戦において、警戒管制レーダーと地対空戦闘は緊密な連携を必要とされる誘導弾の導入により、陸上自衛隊ではなく航空自衛隊編入され、より速い迎撃体制を可能にする必要があったのだ。

音速戦闘の幕開けである。

ナイキミサイルは既に退役したミサイル(現在はPAC:俗称パトリオットミサイルが後任)だが、音速戦闘の実感は未だにリアルに脳裏に残る。
音速マッハ1・5で日本に迫るミグ戦闘機を撃ち落とす仮定で訓練するが、音が聴こえたら敵機は既に頭上にいるというのが音速戦闘である。
良く映画で銃撃戦のとき銃声と共に人が倒れるが、あれを想像してほしい。
キーンと飛行機の音が聴こえたら、既に基地は爆撃されいるという事になる。
つまり警戒管制レーダーで日本の領空域に不振な航空機が侵入したら、すぐにランチャーにミサイルをセットして迎撃体制をとる必要があったのだ。
与えられた時間は限られており、1秒の遅れが命とりになる。
寝てるときだろうが、何だろうが関係ない…ウ〜〜〜とサイレンが鳴ったら飛び出さないといけない。
あの緊張感を久々に西村眞悟先生の時事通信を読んで思い出した…自衛隊の思い出はあの緊張感につきる。
私は最期のナイキミサイルオペレーターとして沖縄の部隊を任期満了し、退役したが…現在も現役で頑張っている同士達は音速戦闘を戦っている。
麻生内閣下でパトリオットミサイルを見事に都市圏で機動展開した彼らこそ、我が同士であり同じ釜を飯を食った仲間達であった。
立派に自衛隊の任務を果たしてくれたと感謝している。
改めて全自衛隊員の日々の精勤に、心より感謝御礼を申し上げたい。


神鬼

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