【私論】維新革命闘争についての論考

内外に攻撃対象を想定して、それを攻撃することで連帯が生まれる。

その攻撃対象が強大な強権力をもった相手ならば非権力者である一般庶民の連帯が革命的な力を発揮するが、マイノリティや非権力者である一般庶民が攻撃対象にされる場合は強大な強権力が革命的な力を封じ込めるための連帯を画策しているのが常だ。

いじめというのは、後者によって起こるものである。一部の権力者(いじめっこ)が保身の為に弱者(いじめられっこ)を攻撃対象することによって、集団(学級)を連帯させ自分自身への反乱を封じているのである。

集団(学級)から、いじめを無くすには権力者(いじめっこ)を攻撃対象にすることによって、連帯を生み革命的な力を発揮すれば良いのだが、弱者(いじめられっこ)が権力側になった途端に強権力を発揮するのも世の常である。

明治維新も維新というが、いわば維新革命である。

薩長をはじめとする倒幕派の勢力も、徳川幕藩体制支配においては遠路の参勤交代を命じられ搾取されていた。

当時は武士階級も厳しく、下級武士達も虐げられていた。
明治維新の中心人物には下級武士や脱藩浪士もいた。

ある者は、坂本龍馬のように脱藩して日本を奔走した。
ある者は、武市半平太のように過激派となって殺戮をした。

面白いことに下級武士を差別していた上士である後藤象二郎らが、武市半平太岡田以蔵を処分したのにも関わらず、倒幕派の勝ち馬に乗るという現象も起きた。

維新はついに成る。

しかし、大政奉還後に坂本龍馬は暗殺され、西郷南洲翁も西南の役にて世を去った。

王政復古後の明治維新以降〜現在まで、日本の政界においては未だに薩長藩閥の末裔の権力は根強い。

かつて、虐げられ苦悩していた志士(一般に日本の江戸時代後期の幕末において活動した在野の人物を指す歴史用語。)の末裔が現在でも日本の権力構造のトップに存在している。

面白いことに、宗教団体も政党や政治団体を組織し日本の権力構造の補完装置となっている。
しかしながら・・・この世に常なるものは無く、諸行は無常である。

つづく