御陵を守ろう!「民のかまどは賑わいけり」

一応説明をしておきますが、私は、全ての政党の政策について間違いだと想うことに対しては批判をしています。特定の政党だけを批判しているわけではございません。それは、大なり小なり皆さんも同様に是々非々で望んでいるものだと思います。良くなってほしいと思うから、批判するわけであって・・・どうでも良いんだったら、批判はしません。ただ、皇統護持に関することについては、批判がより辛辣になりがちなのは認めます。かねてより申し上げておりますが、私に支持政党はありません。私の君主は天皇陛下だたひとりでございます。但しですよ・・・支持政党が無くても、自分なりに考え、折り合いをつけ、選挙に投票に行ったりしているわけです。原発の事を考えたり、国防を考えたり、地方のことを考えたり・・・馬鹿は馬鹿なりに考えているわけでございます。ただ、皇統護持と拉致問題に関することについては一歩もひくことは出来ません。批判の内容も感情的になったり、辛辣になったりすることもあります。それで、不快な想いをさせてしまう場合もあるかもしれません。それは、申し訳ないと想います。その上て、一言だけ申し上げたい事がございます。天皇陵のユネスコ世界文化遺産登録推進事業については各党の推進政策、超党派の推進議員連盟堺市政ついて批判をしております。別に自民党だけを批判しているわけでもなければ、共産党だけを批判しているわけではありません。特定政党を一括りに批判しているわけでもありません。勘違いをされませんように説明しておきます。最後に申し上げますが、皇統護持・御陵護持と言いますが・・・本当は国民が天皇陛下、皇室、御陵にむしろ護られているんですよ。


民のかまどは賑いにけり。
http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/kaido/kdsakai.htm


仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」天皇は、ニッコリされて、こう申されました。そのころ、諸国より「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」との申し出が頻頻とあるようになりました。それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」。


努々忘れることが無きよう・・・お願い申し上げます。


木島伸一拝