英霊の声

北朝鮮軍国主義の亡霊」 安倍首相の靖国参拝を批判 - 朝日新聞デジタル (http://www.asahi.com/) http://t.asahi.com/dlm9

北朝鮮に日本を批判する資格はありません。

現在進行形のテロである拉致被害者を早く返しなさい。


安部総理の靖国神社参拝が、国内外で騒がれています。

賛否、それぞれあると思いますが、今回は私見を書こうと思います。

私は、安部総理の靖国参拝について良きことだと思います。

かつての戦争で戦死された軍人さん達は、靖国で会おうと戦場で散華しました。

国命を受けて戦死された軍人さん達と国家の約束が、靖国神社に魂を合祀するという事です。

その約束を、内閣総理大臣として安部総理が果たされたことは良きことであります。

あくまでも私見です。

とりたてて、この見解を他人におしつけようとは思いません。


別の視点から話をすれば、日本においては憲法で思想・信条・宗教の自由が認められております。

勿論、安部総理の靖国参拝に対しての賛否も自由でありましょう。

その上で、安部総理自身が靖国神社に参拝することも自由です。

本人が考えて納得した上での事であり、内心の自由(思想及び良心の自由)の問題でもあります。

公人といえども、内心の自由は認めれてしかるべきであると思います。

毎日参拝されても、問題は無いと思います。


私は、自民党支持者でも無ければ安部総理の政策を支持しているわけではありません。

保守と言われる立場でも、立ち位置が違います。

私は脱原発派であり、TPP反対派です。

消費税増税にも反対、アベノミクス第三の矢にも反対。

特定秘密保護法案では軍事機密の護持とスパイ対策を重要であるという立場ですが、思想・信条の自由と知る権利との倫理も大切にせよという自説をもって慎重論を説いた次第です。

集団的自衛権よりも交戦権、国防軍ではなくて対米自立した日本独自の国軍建軍の志をもっております。

理想国家像も、国家理念も、自民党及び安部総理とは違います。

嫌韓、嫌特亜であっても政体を批判しているのであり、一般の市民(国民・人民)や文化を嫌悪しているわけではありません。

同じく、反米・反国連も同じスタンスです。

上記の信条をもって、多くの保守派の仲間たちと決別しました。

それでも、後悔はしていません。

また、それをもってしても靖国神社については誰でも自由に参拝できる事を望むものであります。

靖国神社に祀られている英霊・・つまり戦死された軍人さん達は、別に鬼でも悪魔でもありません。

みんな、普通の生活をしていた人達です。

公務員、商人、農民、野球選手、小説家、芸術家、ピアニスト、学生・・・色んな分野で生活を営んできた人達なのです。

祖父たちが、私達に生命と祖国を繋いでくれたのです。

それに感謝をすることは、当然のことだと私は思います。

合祀名簿に載っていない人達の魂も、靖国神社におられると思います。

戦争から生きて帰って来た祖父たちの魂も、靖国で会おうという約束がありますのできっと靖国神社におられると思うのであります。

私も靖国神社に参拝しましたが、軍国主義とか・・そういう心境で参拝したわけではありません。

平和への感謝と、生命を繋いでくれた人達への感謝を捧げ、世界の平和と安念を願うものであります。

また軍人さんのみならず、戦争で受難を受けた全ての人達の鎮魂を祈念するものであります。

私が訪れた戦没者慰霊施設は他にもあります。

摩文仁の丘も、沖縄滞在時に参拝しました。

摩文仁の丘の周囲には、各都道府県の沖縄戦戦没者・受難者の慰霊塔もあります。

祈りの中身は、全く変わりません。

平和と安寧を祈り、先人に感謝を捧げるものであります。

私の心を、皆さんに取り出して見せることは出来ません。

しかしながら。

目に見えないものを、信じることが信仰ではないのでしょうか。

それを教えてくれたのが沖縄です。

今回の日記で靖国に合祀されている御霊の事や、天皇陛下の御親拝について語るつもりはありません。

それを、どう思うか?何を感じるか?は、国民それぞれが自問自答して考えるべき問題であると思います。

その上で、靖国神社に参拝したい人は参拝すれば良いと思いますし、参拝されたくない方はご遠慮されれば良いと思います。

但し、私の信仰心は現在進行形の問題を抱えている隣国や大国に否定・批判されることに屈するような甘いものでもありません。

私の心を奪うことも、消すことも、誰にも出来ません。

私が人の心を奪うことも、消すことも出来ません。

安部総理が靖国神社に参拝するのも自由であり、あたりまえの事だと思います。

また、参拝したくない人は参拝しなくても良いと思います。

他人様の心を変えることは出来ません。

しかし、自分を変える事で影響を与えることは出来るかもしれません。

私は、靖国神社が普通の神社と同じように誰でも自由に参拝出来るようになることを願っております。

最近の反靖国神社の論調を観ておりますと、だんだん酷いものになっていると思います。

終戦日に行くな!〜公人は参拝してはいけない!〜政教分離の原則に反する!〜戦争賛美だ!〜軍国主義者だ!・・・ここまで来ると、さすがに違うんじゃないかと思います。

靖国神社に参拝した人間として申し上げるとするならば、靖国神社は別に軍国主義の象徴でも無ければ戦争を賛美する場所でもありません。

全く、逆です。

そこで学ぶ、平和の有り難さと自由の大切さもあるのではないでしょうか。

私はそのように思います。


靖国神社に参拝して、英霊達の声が聴こえるわけではありません。

心を空しくして、参拝しているときに何故か英霊達の声が聴こえるような気がします。

「日本を、頼んだよ」

祖父たちは、暖かい言葉をかけてくれているような気がするのです。

目に見えない、見せることも出来ないことですが・・これが信仰における事実であり、事象であるのです。

英霊は沈黙どころか、雄弁に語りかけるのであります。

死が、永遠の別れではありません。

靖国神社に行けば、必ず祖父たち魂に会うことが出来る。

私の人生にとって、これはとても貴重な事であるのです。

この世的な理屈や理論を超えたものです。

この世的な事情・事象を超えた所に信仰の実相と真理が実在します。

この事を深く考え、今後も英霊の魂に感謝を捧げます。

同時に、東亜の平和と安寧を心より願うものであります。


木島伸一 拝