追憶 〜黒い影〜
特定失踪者、藤田進さんの弟である藤田隆司さんのfacebookより転載。
https://www.facebook.com/takasi.fujita.3
以下、転載。
昭和51年2月7日自宅を出てまもなく、兄・藤田進の身に北朝鮮の魔の手が・・・・北朝鮮による拉致が誰の指示で、どんな手口で実行されたのか、私の兄・藤田進の拉致に関与した実行犯の一人がその詳細を2007年4月21日号の週刊現代で初めて告白した。その手口とは・・・・
【クスリを打たれ意識を失った藤田さん】
「埼玉に“患者”を連れに行くから、運転手をやってくれ」と、私の事務所に“金先生”から院内(の内線)電話が入ったのは拉致前日のことだったと思います。
当時の私は拉致など知りません。
総連系の医療機関は埼玉にもたくさんあるから、そのうちのどこかから患者を引き取ってくるんだな、くらいの気持ちで手伝いをしたのです。
2月7日は、冬にしては暖かい日だったと記憶しています。
昼過ぎ、総勢4名が病院から車2台で出かけました。
私は先頭車両の1号車のハンドルを握りました。
車は小豆色のブルーバードで、助手席には“金先生”ことチェ・スンチョルが座りました。
2号車は紺のトヨタ車で、二人のスーツの男が乗っていました。
彼らはおそらく科協の関係者だと思います。
当時と今では、道がかなり変わっていますが、当時の記憶で説明します。
まずわれわれは環状七号線を西へ進み、鹿浜交差点を右折して都道107号線に入りました。
そのすぐ先を左折し、博慈会病院の前を通って新芝川べりから山王橋を渡り、鋳物工場が両サイドに並ぶ通りを直進して、川口本町大通りから産業道路に入りました。
“金先生”は、「このルートだと派出所は1ヶ所しかないから安全なんだ」と説明していました。
どこをどう通るかまで、綿密に計算し尽くしていたわけです。
国鉄(当時)川口駅前を越してしばらく走ると、産業道路沿いにある公園で停まるように言われました。
車を降り、公園の反対側に歩いていくと、濃い色のクラウン(3号車)が停まっていて、スーツ姿の男が4人乗っていました。
4人とも朝鮮総連本部関係者で、いま考えると、彼らがこの事件の指揮官でした。“金先生”は、3号車の4人と何か話したあと、私のところに戻ってきて「大宮の氷川神社に行くことになった」と、淡々と私に指示を出しました。
当時は道が空いていたので川口まで30分弱、川口から氷川神社までもそれほど時間はかかりませんでした。
大宮氷川神社の隣には大宮公園があるのですが、公園の池の近くで車を停めるよう指示されました。
いまでこそ、人も多く明るい公園ですが、当時は木が鬱蒼と茂っていて人影も少なく、寂しい場所でした。
そこには、かなり大きめの乗用車(4号車)が、われわれを待っていました。
これが藤田さんを捕まえていた車です。
2号車から2人、3号車から4人が降りると、待っていた4号車の後部座席から、大柄な男2人に両側を抱えられて、男性が連れ出されました。
これが藤田さんでした。
藤田さんは精神病患者などが暴れた際に着させられる拘禁服に似た、ベージュ色の保護服を着ていました。
足元もおぼつかないほどフラフラの状態で、意識がないようにも見えました。
クスリを打たれているな、とすぐにわかりました。
そのまま藤田さんは2号車の後部座席に入れられ、2人の男が両側から挟むようにして座りました。
作業は一瞬でした。3号車の指揮官と思われる男が私のもとにやってきて、「全て完了したので戻って下さい」と日本語で言いました。
日本語が使われたのはこのときだけで、あとは全て朝鮮語です。
帰りも私の運転する1号車が先導でした。
後ろを走っていた3、4号車はすぐに姿を消し、私たち1、2号車はまっすぐ病院に向かったのですが、私は途中で道に迷ってはぐれ、2号車より20分も遅れて病院に着きました。
“金先生”にひどく怒られたのを覚えています。
藤田さんを乗せた2号車は、行きと同じ道で病院まで戻ったそうです。
藤田さんの拉致には、川口市の総連系の診療所が大きくかかわっていると思います。
金理事長が中枢にいた科協には医師が非常に多いのです。
おそらく西新井病院で解読された拉致指令が科協本部にわたり、科協から傘下の診療所に通達されたのでしょう。
数年前から藤田さんと川口の診療所の医者が親しくなっていたそうです。
医師は何年もかけて藤田さんと親密な関係を築き、拉致当日、食事や催し物に一緒に行こう、と誘ったのでしょう。
以上、転載終わり。
これほどの具体的な証言と情況証拠がある事例を、いつまでも特定失踪者問題と呼ぶことに疑問を感じます。
藤田進さんについては北朝鮮で撮影された写真がテレビに公開されているので、皆さんもよくご存知だと思います。
また、この事例以外にも・・・特定失踪者リストにも入っていない拉致問題もあるのだと思います。
一刻も早い拉致被害者全員の奪還救出を願ってやみません。
了
リンク
aoi blog
http://aoinomama13.seesaa.net/
拉致問題を考える川口の会
http://kawaguchi.aikotoba.jp/
しおかぜ通信
http://senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
特定失踪者調査会
http://www.chosa-kai.jp/
蒼き星々
http://www.blue-stars.org/~rachi/sab/sab2.htm
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1964年生まれの美輪さんは大学から神戸松蔭に入られ、1985年12月4日、当時神戸松蔭女子学院大学文学部国文科四回生在学中に(当時21歳)突然校門付近から失踪されました。
翌日兵庫県日本海側の竹野浜から美輪さんの所持品が見つかるなど、兵庫県警の捜査の時系列をたどるうちに、現在北朝鮮の拉致の可能性高い特定失踪者とされています。
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