マザーテレサの言葉

神の愛が、罪の不幸や、世界を分断している恐怖・葛藤・緊張のすべてよりも、無限に力があり、神の慈しみであることを、私たちは本当に信じているでしょうか?もちろん、人間の手や心が作り上げた最も強力な爆弾や銃などとは、比べものにもならないことを。

仕事の最中でも、祈ることはできます。仕事は祈りを妨げないし、祈りもまた、仕事を妨げることはないのです。ただほんの少しだけ心を神に向けるだけでよいのです。愛しています、お任せします、信じています、神よ、私は今あなたが必要です。こんな感じでいいのです。これはすばらしい祈りです。

愛の本当の意味は、神との結びつきからでなければ、わかることができません。その神との結びつきから、家族への愛、あなたの周りの人たちへの愛、貧しい人たちへの愛、これらが自然に実を結ぶのです。

愛とは分かち合うこと、私たちにある最善のものを与えることです。私たちは、神の愛の運び手なのです。そしてあなたが誰であれ、あなたも神の愛の運び手になれるのです。

「さあ、ひとつひとつ小さなことから始めましょう。」

「貧しい人のさげすまれた姿の中にいるイエスに奉仕しなさい。」

「傷つくまで与えましょう」

わたしたちの愛に対する主の飢えを、わたしたちがいやしてさしあげられるように。それは、貧しい人々へのわたしたちの奉仕をとおして可能になるのです。わたしたちは主の飢えを満たすのです。

エスはいのちの糧として、ひときれのパンよりもご自分を小さくすることがおできになったでしょうか?もっと弱く、もっと無力なものになれたでしょうか?ハンセン病の人よりもむごい姿になれたでしょうか?そう、現に主はそのようになられたのです。わたしたちはそれを知るべきです。

わたしは癌におかされた女性に会う機会がありました。彼女の苦しみは大変なものでした。わたしは彼女に話しかけました。「今、あなたは十字架にかけられたイエスに近づいているのよ。その苦しみは主のくちづけなの」彼女はわたしの手を握りしめてこう言いました。「マザー・テレサ、どうぞわたしにくちづけするのをやめてくださるようイエスに願ってください」それはとても美しい態度でした。彼女は理解していたのです。苦しみは神からの贈り物なのです。苦しみを罰と受け取ってはなりません。

家族がともに祈るならば、家庭の一致は保てます。その家族は互いに愛し合うでしょう。五分間、一緒に祈るだけでいいのです。「天にましますわれらの父よ」と始めるだけでいいのです。

「主よ、あなたを愛します。主よ、お許しください。主よ、あなたを信じます。主よ、あなたに頼ります。あなたがわたしたちを愛してくださるように、わたしたちも互いに愛し合えるようお助けください」と祈ればいいのです。祈りを通じて学びあうとき、そこからあなたの力が生まれてきます。

信仰は神からの贈り物です。しかし、神は信仰を強要されません。

キリスト教徒もイスラム教徒もヒンズー教徒も、信じている人も信じていない人も、誰でも共に愛をもって働くことができます。誰でも共に愛することの喜びを分かち合い、神がともにおられることに気づくことができます。その時その時、ヒンズー教徒はより良いヒンズー教徒に、イスラム教徒はより良いイスラム教徒に、キリスト教徒はより良いキリスト教徒になれるのです。

物質的な心配に人々はどれほど、ふりまわされていることでしょうか。多く持つことが幸せとされている先進国の世界でわたしは何度となく見たのです。どんなに着飾っている人々でも、実は本当の乏しさにあえいでいることを。

何も持たないことにより、わたしたちはすべてを与えることができるのです。---乏しさという自由をとおして。

マザー・テレサ(Mother Teresa、本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(Agnesë Gonxhe Bojaxhiu)、1910年8月26日 -1997年9月5日)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。
http://www.motherteresa.co.jp/news.html

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