【新春コラム】保守勢力の再構築

かつては、左派が反戦反核・平和・護憲というスローガンでイデオロギー固定化していた。

一方、保守は幅を持たせてタカ派ハト派という概念で左翼を圧倒していた。

しかし、近年保守派は親米・脱亜・改憲というスローガンの元にイデオロギー固定化を目指しているように見える。

それは、自民党内の派閥である清和会の外交タカ派、財政新自由主義の顕著な現れと共に起きているのではいか。

政党や政治家に関わらず、在野の保守層も清和会的な勢力が席巻しているように思える。

わしは保守のイデオロギー固定化というものを大変危惧している。

左派の政権脱落は、保守が勝ったからではない。

無党派層反戦反核・平和・護憲に倒されたのだ。

3・11以降の新しい潮流に政治の舞台から引きずり降ろされ、自民党に政権奪還を許しつつも、左派は緩やかに化学変化を起こしている。

新たなる潮流とは、3・11以降の福島原発事故によって引き起こされた無党派層脱原発運動や政治参加であり、格差社会の世界的蔓延によって引き起こされているオキュパイムーブメントやジャスミン革命等の世界的潮流である。

その新しい潮流との接触によって、陥落したはずの左派勢力は姿を変えながら少しづつ勢力を伸ばしつつある。

生活の党と山本太郎とゆかいな仲間たちという、ふざけた名前の政党があるが・・・この存在も決して保守にとって笑えない存在になる可能性もある。

安倍自公政権の外交タカ派、財政新自由主義政策が継続していくことによって、格差社会が更に拡がるのではないかという不安をわしは持っている。

格差が拡がり、自殺者や生活困窮者が増えてくると外交タカ派、財政新自由主義の安倍自公政権の政策に対して「NO」の声は必ず大きくなるだろう。

去年末の衆院選は無風だったが、風は気まぐれである。

自民党の人が良く言う言葉に、株価や為替は生き物という言葉があるが・・・風も生き物のように突風を吹かせたり、向かい風や逆風を吹かせることもある。

竜巻や台風が起きないとも限らない。

晦日紅白歌合戦で、桑田佳祐さんの政治を風刺したパフォーマンスが話題になっているが、話題になるということは世間が関心を寄せているということである。

実際に、保守層内でも著名な若手保守論壇が「保守はもっと貧困問題に取り組むべき」とか「日本国内に外国の軍隊が滞在しているのはおかしい」とか言ったら、大きな反響があった記憶がある。(※本人が本気で言ってるのかどうかは不明だが)

私のような、特段と支持政党のない在野の保守層にも新しい潮流は接触している。

実際、わしは脱原発派の保守であり3・11以降の新しい潮流と接触しながら変化を求めている一人である。

衆院選では、自民党より右を標榜して、保守という概念を更にイデオロギーとして固定化した次世代の党が壊滅的敗退を喫した。

そこに、左派のとるべき突破口をわしは見たような気がする・・・去年末の衆院選では次世代の党があったから、自民党が中道に見えたのだろうが・・・次の選挙では自民党が一番右になるのだろう。

次世代の党は、安倍自公政権の右に柱を建てると言っていたが・・・安倍自公政権を支える人柱になったのではないか。

次の統一地方選参院選で、左派は徹底して格差是正、反貧困を訴えつつ、自公政権新自由主義とは全く逆の外交ハト派・財政福祉の政策で挑んくるだろう。

こうなると・・・自公安倍政権も負けないかもしれないが、余裕はなくなるだろう。

それを見越して、保守層も第三極として外交タカ派、財政リベラルの勢力を構築するのが急務なのではないだろうか。

タカ派といっても清和会的な対米追従ではなくて、対米自立であるべきだろう。

保守層は、保守というものをイデオロギー固定化させてはいけない。

この道しかない!という言葉が、既に進むべき道を固定化しているのではないか?

この道の先に、崖があっても他の道が無いのならば突き進むしか無いのだろうか?

そんな、馬鹿な話はあってはいけないだろう。

保守というものをイデオロギーとして固定化する必要はない。

状況に応じて、多様な対応や個別の対応が出来る柔軟なものであっていいのではないだろうか。