『民族の触覚』
ヤルタポツダム体制は時代と共に姿を変えている。
そして現在も生きていると考える。
冷戦構造も姿を変えて、新しい冷戦構造というものがあるのだろう。
ソ連はペレストロイカにより終焉したが、ロシアと平和条約を締結には至らず。
北方四島(択捉島、色丹島、国後島、歯舞群島)についても問題は解決していない。
南樺太についても領土問題として認識する。
日本への返還を要求する側の主張
出展:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA
江戸時代以来、日本の行政が部分的とはいえ及んでいたこと
日露最古の条約日露和親条約 の「これまでの仕来たり」概念(この場合得撫島以北の千島列島領有権はない)以来に遡れば、南樺太における日本権益の法的発生が日露戦争による併合で開始されたといえないこと
日ソ基本条約によりソ連政府が承認した南樺太の日本領有権の有効性(南樺太に対する最後の有効的条約と定義)
日ソ中立条約によりソ連政府が認定した日ソ両国の領土権尊重規定の有効性
当事国を無視し秘密裏になされたヤルタ協定極東領土条項自体の無効性
ソ連による日本領土侵攻(日ソ中立条約違反)ポツダム宣言受諾後なお領土拡張意図による継続侵攻を実行したこと
ソ連によるポツダム宣言違反(捕虜の強制連行)(領土不拡大原則違反)による権利の毀損性
ソビエト連邦による国際法を無視した一方的南樺太編入措置の無効性、領土編入措置と一体化した樺太庁管内住民のソ連による強制送還の違法性
サンフランシスコ講和条約を理由とするソ連による南樺太、千島領土主権の取得ができないためソ連がサンフランシスコ講和条約調印を拒否したこと(日本は南樺太・千島を放棄させられたが、ソ連はこの条約に調印していないため、「日本は国境に関して、ロシアに対し従前の関係であり南樺太・千島を放棄していない」または「連合国は日本のロシアに対する南樺太・千島の放棄を認めていない」と定義) 1952年3月20日 米国上院が「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、歯舞諸島、色丹島及びその他の領土、これら権利、権原及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」とする決議を行っている。
サンフランシスコ平和条約で日本は南樺太の領有権を放棄しているが、最終的な領有権の決定はなされていない。日ロ間における講和条約は未成立であるが、サンフランシスコ平和条約の当事者である日本はロシアに割譲する権限を有しない。
以上(以下、リンク先参照のこと)
ヤルタポツダム体制、YP体制というものは現在も姿を変えて生きているものであると認識することは極めて自然ではないだろうか。
それに対して、打倒YP体制というものを自分なりに考えてみた。
打倒YP体制を考える上で、避けては通れないのが右翼民族派の存在である。
右翼民族派の主張は、従来の冷戦構造時代を捉えてYP体制の打倒を訴えているものではないと認識している。
対米自立、自主憲法制定、国軍創設という主張は、冷戦構造時代に主流であった反共親米という主張とは全く違うものである。
冷戦時代における反共親米というスタンス・・・つまり対米隷属、対米従属的な姿勢による国防論とは全く別物である事を理解する必要がある。
現在、多くの保守層が主張・賛同する集団的自衛権や米軍基地依存に対する批判でも理解することが出来る。
現在の保守層が主張する「嫌韓」や「ヘイトスピーチ」も、冷戦時代のレッドパージが時代と共に姿を変えたもの・・・つまり「焼き直し」であると自分は想う。
旧来の冷戦構造、YP体制、戦勝国体制、安保体制というものを否定しつつも、踏襲しているのは自民党系の保守層ではないだろうか。
これは護憲派のリベラルや左翼についても言えるだろう。
護憲派もスタイルを変えながら、戦後体制を踏襲・補完しているのである。
自分は右翼民族派ではないが、一介の一人の国民の心情として自民党系の保守層よりも右翼民族派の主張を支持するものである。
アメリカの新たな世界戦略、新冷戦構造、姿を変えたヤルタポツダム体制に対して、対応しうる思想をもっているのは右翼民族派の方々であると想う。
『民族の触覚』に、自分も習いたいと想う。
了