若松孝二監督が描いた連合赤軍と三島由紀夫
「11 25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を観て想ったのは、数ある下馬評を通り超えて良かったという印象だった。
左翼の映画監督と評される若松孝二監督だが、若松孝二監督だからこ描けたと想った。
保守に三島事件を描くことは不可能。
それは保守が権力の補完に堕落したことを意味するのだと痛感した次第である。
わしは保守陣営の尖兵として、保守陣営の再生に努めてきたつもりだった。
しかし、もはや保守陣営に対して絶望感しか自分はもてないというのが正直なところだ。
保守が守り保ちたいものは何なのか。
火炎瓶テツ氏の言葉は私の鼓膜と網膜を経て、心に突き刺さって離れないのである。
次に「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を久しぶりに視聴したが、「11 25自決の日 三島由紀夫と若者たち」と同じく若松孝二監督作品である。
三島事件では三島由紀夫を人間として悲壮感もありながら美しさも描かれていたが、当作品は対照的に総括による殺人や連合赤軍の革命戦争を美化しているものではなかった。
あれを観て、連合赤軍のような革命戦争にシンパシーを持つものは居ないだろう。
連合赤軍と三島事件の映画は実は二部作ではないのかと勝手に想ってしまう。
反米愛国でありながら、共産主義革命戦争の赤軍と三島由紀夫の楯の会の立ち位置の違いと中身をしっかりと区別している。
この連合赤軍の作品を見て自分は考えた。
二人はその後の山岳ベース逃走〜浅間山荘事件での最終戦争に合流できず警察に逮捕された。
総括を強要した森恒夫は獄中にて首吊り自殺。
永田洋子は脳腫瘍で獄中死に至った。
坂口弘は現在も死刑囚として収監されている。
総括せよ!自己批判せよ!これは真の共産化を目指すのならば他人に強要せず、自らに課するべきであったのではないか。
森恒夫自身がスターリン主義を批判しつつ、スターリン主義となったのではないか。
永田洋子は女性へのルサンチマンを満たすために総括を強要したのではないか。
坂口弘には、これこそクライマックスに加藤元久が叫んだ「みんな、勇気がなかったんだ!」と
いう言葉が相応しいのではないか。
坂口弘は浅間山荘で最終戦争を戦ったことで死んだ兵士への筋を通すことは出来たのかもしれない。
その坂口弘を演じた、ARATAが三島由紀夫を演じることになる。
連合赤軍は何れも政敵であり、赤軍派のよど号グループは拉致実行犯であり、わしにとっては不倶戴天の敵である。
しかしながら、「総括の強要と同性へのルサンチマン」というものは、現在の日本社会においては赤軍の立っていた地平たる、左派陣営ではなく・・・わしが立っている保守陣営に見受けられる「自己責任論を他者に強要したり、性的マイノリティーに振り下ろされるルサンチマン」として受け継がれている部分もあるのではないか。
山岳ベース事件とは云わないまでも、苦虫を噛み潰すような想いをしたのはわしだけだろうか。
話は戻るが、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の総括が「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」のように想う。
東大全共闘の学生たちが、三島由紀夫が語った「天皇」を受け入れていたら・・・60年代、70年代の安保闘争の歴史は変わったていたのかもしれない。
月並みな感想で申し訳ないが、以前観た感想とは違った感想を得た。
了