街頭テレビと昭和プロレス
戦後、街頭テレビのブラウンの奥でプロレス中継がはじまった。
空手チョップをシャープ兄弟に打ち込む力道山(在日コリアン)が人気者だった。
今のプロレスでは、白人レスラーに立ち向かう日本人レスラーが人気になることはない。
日本人レスラー同士の試合と場外乱闘のほうが話題になることが多い。
政治の世界も、日米安保体制保守と護憲左翼による日本人同士のイデオロギー対立と場外乱闘が主流になっている。
戦後70年の月日を経て、アメリカのショーマンシップ・プロレスのようなものが、日本でも完成したと言えるだろう。
前田日明(帰化日本人)VSアレキサンダー・カレリン(ロシア連邦ノヴォシビルスク、五輪アマレスグレコローマン3大会連続金メダリスト)の試合が最後の昭和プロレスだったのかもしれない。
ヒクソン(ブラジル、グレイシー柔術)ではなくて人類最強のカレリンと戦うこと。
これは、アントニオ猪木(ブラジルへ移住滞在〜力道山にスカウトされ日本へ帰国)への強烈なアンチラーゼであったとも言える。
猪木は、北朝鮮でプロレス興業をやった。
その北朝鮮には、プロレスを観ることが出来ない、幽閉されている日本人・朝鮮人と貧困浮浪児がいる。
猪木は、そういった人達にもプロレス興業を観せるべきだったのではないのか。
猪木は、北朝鮮でのプロレス興行によって、自らのストロングスタイルのプロレスを否定し、アメリカのショーマンシップのようなものに堕落したのではないか。
日本人の佐山聡(初代タイガーマスク)と帰化日本人である前田は総合格闘技というものを融合させて、ストロングスタイルを復活させようとした。
2人は猪木の弟子でもあった。佐山は新しい総合格闘技設立(シューティング)の道へ進み、前田はプロレスラーであることにこだわった。
力道山の昭和プロレス魂は猪木ではなくて、実は前田に受け継がれていたのかもしれない。
アメリカのショーマンシップによる侵略から、街頭で誰でも観れる昭和プロレスを守ろうとしたのは前田であったと想える。
北朝鮮に居る人達が、誰でも観る事が出来ない「金体制」の為にプロレス興業をやった猪木から、街頭テレビと昭和プロレスは既に姿を消したのである。
日本社会においても、街頭テレビと昭和プロレスは姿を消した。
残念ながら、時の流れを止めることは出来ない。
しかし、プロレスの復興を強く願って筆を置くことにしたい。
ネットが発達した現在だからこそ、誰でも観れるプロレスが復活する機会が新たな形で産まれる可能性もあるだろう。
それは、従来の新日本、全日本、UWFとも違ったものなのかもしれない。
了