雛鳥

野村秋介烈士は我々はブロイラーであると言って憚らなかった。
つまり戦後民主主義なるものの落とし子であり、それを自覚した上で如何に民族の意識を取り戻すかという事を命題にされていたと自分は解釈している。

風の会(かぜのかい)にはリベラル的な思想をもった方々も集まった。

その風の会を虱の会(しらみのかい)と揶揄され朝日に抗議した後に、皇尊弥栄と三回唱えて自決された。

三島由紀夫烈士も東大全共闘との議論や美輪明宏氏とも交流をもっていた。

東大全共闘に対し、諸君らが天皇天皇と言ってくれれば共闘するとも語った。

話は戻るが、戦後民主主義の落とし子たる我々ブロイラーが民族の意識、民族の触覚を取り戻すということは、どういうことなのだろうか?

先ずはブロイラーたる自己を認知するところからはじまるのではないかと想う。

民族の意識というのはどのように取り戻せるのだろうか。

ブロイラーとしての自分を全否定した先にあるのだろうか。

いや、違う。

それはブロイラーたる肉体に宿った魂であっても天皇の分け御霊であることを自覚することにあると私は信じている。

ブロイラーであるということが魂の本質ではなく、魂そのものは完全無欠であり、肉体を超えたところにあるではないか。

そんなことを考えながら平凡な日常を消化する。

平凡であることとブロイラーであることを恥じる必要はないのだ。

平凡であることとブロイラーであることの奥に非凡なる精神的価値が既に備わっているのだ。

民族運動とは卵の殻を外から突いてヒビいれることなのだ。

あとは勝手に『雛鳥』が生まれることを私は信じている。

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