【基地問題】イモ・はだし論

イモ・はだし論という言葉があります。


イモ・はだし論
1968(昭和43)年10月の主席公選で、保守陣営・西銘順治候補が打ち上げたキャッチフレーズ。米軍基地撤去、即時無条件返還を掲げた革新統一候補の屋良朝苗が勝利すると、昔のようにイモを食い、はだしの生活に戻ると強調した持論。
イモ・はだし論 (いも・はだしろん) - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40311-storytopic-121.html


最近、話題の普天間基地移設問題で辺野古移設推進派の言い分を見るとイモ・はだし論をもってくる人が少なくない。


このイモ・はだし論というものが、私はとても嫌いであります。


この言葉を裏返せば、イモとはだしの生活に戻りたくなかったら米軍基地問題について沖縄県民は何も言うな!従え!という傲慢さがあります。


これは何も沖縄米軍基地に限った問題でもないと想います。
他の在日米軍基地や原発所有地域にも言える問題だと想います。


長年、日本は多大な補助金助成金を餌にしてイモ・はだし論をもって自分達はリスクを負うこと無く安全圏から国防や電気エネルギー生産を地域に負担させる政策をとってきました。


首都圏都市の電力を福島に。
関西圏都市の電力を福井に。
安全保障を在日米軍基地所在地に。


原発は、東京や大阪のような都心にはつくれません。
米軍基地も、米軍基地の無い所に新たにつくるといっても実際には受け入れたい人なんか少数だというのが本音だと想います。
原発も米軍基地もリスクが有るのはみんな本当は判っているはずなのです。


福島第一原発事故
沖縄をはじめとする米軍基地所在地に厳然と存在する日米地位協定
このリスクを受け入れさせるために補助金を湯水のごとく投入して、人の感覚まで麻痺させます。


福島第一原発、第二原発、1号機、2号機、3号機、・・・。。
まるで覚◯剤の注射痕のようになっています。


もっと!もっと!
もっと!もっと!


薬物依存のように原発利権に依存してしまったのです。


そして、東日本大震災が起きて大津波が発生し福島第一原発事故が起きました。
目の前でドーン!ドーン!と建屋が水素爆発を起こしました。


あれから4年。
復興の遅れは否めません。
イモ・はだし論で推進された原発によって引き起こされた事故が大きな原因であることは否めません。


まさに、福島の人達は原発によってイモ・はだしのような生活を強いられているのです。


昔のイモ・はだしの生活とは違います。
昔は原発がありませんでしたから。


沖縄県普天間基地移設問題に話を戻します。


沖縄県普天間基地辺野古移設反対派にも色んな人がいるでしょう。
他の都道府県から沖縄に移住した過激な左翼活動家も居るでしょう。
米軍基地がありますから、敵対国である中共の息がかかった工作員や関係者も居るでしょう。
私は、上記の過激反対派の運動や言論を一寸も支持できません。
私が寄り添いたい人達は、左翼とか保守とか自民党とか共産党とか関係ない・・・デモや抗議運動にも参加していない、純粋に沖縄の辺野古の自然を守りたい、故郷の景色を守りたい、名も無き沖縄県民の方々の心に寄り添いたいのです。


知事選挙や衆院選では、辺野古移設反対派が勝利して与党自民党と支持層である保守派は激昂しました。
現在も、沖縄県知事安倍総理の対談は実現していません。
何故、こういう事態になってしまったのか。
勿論、左翼や中共やマスコミの激しい反対や工作もあるでしょうが原因の根っこはそこじゃないと想います。


問題は・・・辺野古移設推進派が沖縄県民がもっている独自のアイデンティティを理解していないということではないでしょうか?
沖縄には独自に発展した文化や生活があります。
音楽も琉球音階というものがあるのは、ご存じの方も多いと想います。
そして、歴史も違います。


沖縄には首里城があって、かつては王朝があったことも皆さん知っているでしょう。
そこから、薩摩支配〜廃藩置県大東亜戦争〜沖縄地上戦〜米軍統治〜本土復帰という歴史があります。


沖縄県民には、他の都道府県とは違った文化と歴史とアイデンティティがあります。
ここを理解したうえで、米軍基地問題と向き合わないといけません。


また、美しい故郷を守りたい!というアンデンティティというかパトリオティズム愛郷心リージョナリズム(英: Regionalism)というものは人間ならば誰しもあるものではないでしょうか?
辺野古移設に関して、沖縄の自然は既に沖縄県民が破壊しているとか保守の人達は言いますが・・・他の都道府県も近代化の過程で自然破壊をやってきました。沖縄県民だって同じです。そこを沖縄県民だけ責めるのはお門違いです。


近代化をするということは自然を破壊することです。
公害や漁業や林業でも自然にダメージを与えますが、それを反省して守ってきた自然や故郷の景観もあるはずです。
沖縄県の人達だって、近代化を経ながら守ってきた自然と故郷の景観があるはずです。
戦争や、近代化や、工業化で人の命や自然が多く失われました。
しかし、それを経て・・・人は反省をして発展もしているはずなんです。


お互い様でしょう。


沖縄県民がもっている独自のアンデンティティやリージョナリズムを理解した上で、安倍総理は翁長知事と会って話をするべきではないでしょうか。


このままだったら、基地反対運動はもっと先鋭化します。
それを見て笑っている国もあると想います。


沖縄県民には独自のアンデンティティやリージョナリズムがありますが、他の都道府県民と共有する複合的なアンデンティティやリージョナリズムもあるはずです。


その共有部分を大切にするべきではないでしょうか。


変わらないもの、変われないもの、変わらなければいけないもの。
これらをしっかりと見極めて、日本の国防というものを考えなければいければいけません。


補助金の利権などで、沖縄県民同士も憎しみ合ったり傷つけあったりしているのです。
もう、こんなことは嫌だ!
という声を、色んな人から聞くべきではないでしょうか?


辺野古移設反対派の人達の全員が、他の都道府県から来た過激な左翼や中共や韓国の息のかかった人ではありません。
過激な反対運動をしたり、尖閣諸島沖縄本島を狙っている外国勢力の話を聞く必要はないでしょう。


過激なデモや抗議活動にも参加していない、愛すべき故郷の景観が破壊されることが耐えられないという名も無き沖縄県民の声を聞くべきではないでしょうか?


私は、米軍と沖縄県の友達のどっちが大切かと言われたら迷わず沖縄県の友達だと言います。
米軍基地と沖縄県がどっちが大切かと言われたら、沖縄県が大切だと言います。


本来、日本国内にある在日米軍基地の軍用地は誰のものなのでしょうか?
もともと日本にあったものでしょうか?
70年前の敗戦以降に出来たものですよね。


イモ・はだし論も米軍も・・・本来の沖縄に無かったのですから。


本来あった沖縄。


一度、壊したら・・・それを取り戻すことは大抵のことではありません。
そのことを含めて、ちゃんと考えるべきではないかと想います。