保守からのジェンダーフリー②

保守からのジェンダーフリー


儒教的男女観の限界点』


今回は保守的ジェンダー抑圧の原因について考察したいと思います。


私はロッカーなので保守的なジェンダー規範とは相容れないことが多いです。


男が化粧して何が悪いのか言いたくなりますが、それはまあ置いておいて・・・かつて、「女性は子供を生む機械」という失言で叩かれた政治家が居ましたが、フィジカル(身体的)・マインド(精神的)な理由で子供が産めない女性への配慮も必要だと思います。


最近も、保守系政治家の失言が話題になりましたね。


また、「女らしさ」という規範に違和感を感じる女性への配慮も足りないかなと思うわけでございます。


有名な坂本竜馬の姉、乙女は幼少時より「やんちゃ」で喧嘩が強く、男の子に「お仁王様」と恐れられた快女と知られていますが、彼女も夫婦生活に悩み・・・離婚してしまったりしているわけであります。


そういった規範からはみだしてしまう人は少数ながらいるわけです。


あと性同一性障害をもつ人も居ます。


そういった少数派の方々にも理解して排除せずに共生する社会観も私は必要だと思います。


保守的な柔軟性の低いジェンダー規範というのは本来、日本風土にあったものではなくて儒教的な価値観であると私は思います。


日本には、天岩戸伝説というのがあって女性の神様がすっぱんぽんになって裸踊りをして天の岩戸にお隠れになった天照大御神を外へだそうとするエピソードがあります。


案外、性というものに対して、大らかであったのが、本来の日本の風土ではなかったかと思うわけでございます。(※別にすっぽんぽんになって街で裸踊りをやっても良いというわけではありません。)


男性も衆道というものがあって、戦国時代にはボーイズラブも顔負けの同性愛の行為が普通に行われていたと言われます。(※私は女性が好きです)


男女の性も大衆浴場、つまり銭湯が江戸時代は混浴であり・・盛んであったと聞いています。夜這いというものもあったそうです。


そんなに抑圧的な貞操観念や男女の別といった性のあり方に閉鎖的な文化ではなくて、大らかなものであったのではないかと思うわけでございます。


そういった意味では、日本に性差別はあまりなかったのではないかと思います。


問題は明治以降の儒教的な精神規範というものが、あまり評判が良くないわけであります。


日本は神道の国であり、仏教伝来以降、仏国土としても発展しました。


神道は、大衆に厳しい戒律を説いているわけではありません。


仏教は、出家僧には厳しい戒律がありますが、在家信者には現し世で生きていくのに適した戒律で広く多くな人々に受け入れられました。


女性サンガ、つまり尼さんに妊娠が発覚した場合には一時には還俗といって戒律を解いて落ち着いたら再び具足戒といって戒律を与えるという救済制度がありました。


実はキリスト教も、マグダラのマリアという娼婦をイエスが「安心せよ」といって救ったというエピソードが有ります。


保守的な男女観というものが、悪いと言っているわけじゃありません。


問題は保守的な男女観に対して、当て嵌めることが困難な少数派の人々というのはやはり居るわけです。


先ほど、お話した子宝に恵まれない男女もおります。


男らしさ、女らしさという規範からはみだしてしまう人もおります。


そういった方々への配慮、思いやりというものも私は大事ではないかと自分の私見をまとめてみました。



※写真はロックバンドでメイクをしている自分。