保守からのジェンダーフリー特別編『理想と現実』

保守からのジェンダーフリー特別編『理想と現実』

アイドル。

アイドルに人は清純、潔癖、処女(童貞)であることを求める。

理想・・つまり平均的な規範(ジェンダー)が理想像としてブラウン管で歌や踊りを披露する事で人気得てアイドルも商売している。

しかし、その理想というのは自分勝手な幻想ともいえる。

アイドルは異性と交際もしないし、ヒット曲のような純愛的な恋愛観をもっているのだろうか。

漫画のヒロインみたいに白いパンツをはいて、タバコも吸わないと想っているような事(まあ、そんなことはないと想うが例えばの話。)と似たような幻想を勝手に描いているわけだ。

男性アイドルについては、女性アイドルよりは比較的そういった抑圧はない。

男性アイドルグループでトップを走り続けるスマップのキムタクも結婚しているし、中居くんもタバコを吸う。

世の中の規範(ジェンダー)から外れても男性はそんなに社会的に嫌悪されたり、激しいバッシングを受けることもない。

草薙くんが素っ裸になった事件は、多少なりとも物議を醸したが女性アイドルのスキャンダルほどではない。

女性アイドルのスキャンダルといえば、加護亜依さんと矢口真里さんだろう。

AKBグループも交際等のスクープ報道をされても、特段魔女狩りのような扱いは受けていない。

加護亜依さんの喫煙騒動〜現在。

矢口真里さんの交際スキャンダル〜現在。

詳細は知らない人が居ないというくらい認知されていると思うので、ここで特段と書く必要はないだろう。

それは、アイドルとしてハロプロのほうがAKBよりも格上であることを示すと同時に世間の衝撃度の激しさを物語る。

加護さん、矢口さんはミニモミとして一世を風靡し大ブームを起こしたハロプロの貢献者である。

それだけ、世間も二人にもっていたイメージは実際の彼女たちの素顔とはかけ離れたものであろう。

矢口さんの出演した某番組で、表の顔・裏の顔という言葉で矢口さんをdisるシーンがあったが私はそれは間違いであると思う。

みんなが観ているミニモニ、モー娘。ハロプロの矢口さんと矢口さんの素顔・私生活は別だというのが実際のところだと思う。

表・裏では無くて、ビジネスと私生活の違いだ。

私生活の問題を、裏表といった人格攻撃に関連付けるのはあまりにも酷いとしか言い様がない。

加護さんも、矢口さんも、実際のところ世間の求める規範(ジェンダー)から外れてしまっていることは間違いない。

しかし、それをもって人格がどう〜とか、性格がどう〜という事にならないだろうと私は言いたい。

アイドルに対して、自分で勝手に人間像なり人格像を描いて、それが壊れた途端にバッシングを浴びせるのは些か虫唾が走る思いがする。

それは、アイドルとか芸能界ではない普通の一般的な日常生活を送る私達の身近にもある問題です。

目の前の可愛い女の子に、自分勝手な人格なり理想を描いて、イザつきあってみて理想が壊れてしまい、それが許せずに男性が悪態をつくパターンというのは案外ある。

女性側からすれば、あんたの勝手で私を決めつけないでよ!っていう迷惑な話でもあるのだ。

以前、下記のような事をつぶやいたことがある。

メガネをかけているから、頭が良いでしょ。このくらい解るよね→メガネをかけているからといって、頭が良い訳じゃない。

太っているから、これくらい全部食べられるでしょ。→太っているからといって、何でも食べれるわけじゃない。

女の子だからピンクが好きだよね。ピンクの服買ってきてあげたよ→女の子だからといって、ピンクの服が好きなわけじゃない。

上記を参考に考えてほしい。

アイドルだからといって、自分勝手な幻想や理想を描かないことだ。

描くのは勝手だけど、それを裏切られたからといって、人格まで否定するのは話が些かズレるのではないか。

勿論、CDやDVDを給料をつぎ込んで買ってきたファンには反動もあるだろうし・・・それは理解できる。

ファンには批判する資格は当然あるのだろう。

アイドル当人も、それについては申し訳ないと謝るだろう。

事務所も厳しい決断をしないといけない。

それを売っている以上、責任もある。

つんく♂さんは、加護さんの一回目の喫煙騒動は許した。

さすがに繰り返して起きた喫煙騒動とスキャンダルには、厳しい決断をせざる得ない。

未成年者の喫煙が法律で禁止されている以上、仕方が無いのだ。

私は、自身が未成年喫煙者だったので言えないが。

矢口さんの今回のスキャンダルも色々な問題があって、矢口さんだけの落ち度をもって解雇にするのは些か話が違うのでそこまではしていない。

つんく♂さんとファンは、当人たちの今後も含めて、批判なり厳しい事を言う事もあるだろう。

関係者だからだ。

私が問題にしているのは、世間体・・・つまり世間様である。

別にモー娘。にもミニモニにも特段と思い入れも何も無い世間が、ここまで鬼の首をとったように彼女たち二人の事をどうのこうのと吊るし上げるいやらしさに反吐が出るのである。

世間様も、勿論モー娘。やミニモニに世間様なりの評価はもっていたと思う。

そのイメージは、アニメのヒロインみたいなものだったかもしれない。

しかし、そんな実在しない理想像・幻想によって形成された規範(ジェンダー)をアイドルに求めて、そこから一歩でも外れれば魔女狩りのように叩かれる有り様である。

写真週刊誌やワイドショーが、飛ぶように売れる世間様。

人の不幸は蜜の味と言うが、需要があるから供給がある。

スキャンダルや不幸を売り物にしているマスコミと、それを買う世間様。

吊し上げ、魔女狩りのような風潮。

そんな風潮に対して、どうしようもない違和感がある。

人間には誰にも、一癖も二癖ある。

仕事が終われば、みんな私生活がある。

その私生活は、普段私達が覗いたり出来るようなものでも無いし、覗くことも無いものだ。

その私生活にも、失敗やトラブルはつきものであり、人間誰しも言えないような事情はあるものだと理解している。

自分の『恥部』を世間にばら撒かれるわけだから、たまらないものがある。

自分の『恥部』なんて、親にも知られたくないというのが人の情けではないだろうか。

有名税と言えるだろうが、有名税といっても女性アイドルの場合は男性のそれよりも高い税金を払わされる。

一般世間の出来事も同じで、男性と女性では離婚ひとつをとっても世間の目は違う。

男性の場合は、間違いがある程度許容される事が・・・女性には通用しない場合がある。

規範(ジェンダー)というものは怖いもので、恐ろしいものだ。

世間には、男性はかくあるべし、女性はかくあるべし、という規範(ジェンダー)というものは厳然とあるわけだが・・それ自体が自分は悪だと思わない。

問題は、規範(ジェンダー)によって個人が抑圧されることにある。

規範(ジェンダー)から飛び出してしまった人をどのように扱うか。

腫れ物のように、吊るしあげて火炙りにするか?

それとも、共存していくか?

私は少なくとも、後者である。

賢い人ならば、ジェンダーフリーが悪ではないという事がここで理解できるはずである。

ジェンダーフリー=悪とみなして抑圧社会を推進する政治家がいるが、とんでもない話しである。

ジェンダーフリーとは、男女の規範や、男女の性差を無くす事ではないのである。

ジェンダー(規範)から、外れてしまった個別の要件を解決するものであり、社会的共存を実現することである。

トイレの青・赤はあってもいい。

しかし、性同一性障害で身体が男性(女性)であっても心が女性(男性)の場合、身体的に同性のトイレであっても、異性のトイレに入る感覚になり、心的抑圧を受ける。

だから、誰でも利用できる男女兼用で、身障者やお年寄りも使いやすいトイレが、もう一つあっても良いんじゃないですか?というのがジェンダーフリーの本質である。

平均的な男女規範によって、引き起こされる不利益もあるということ。

話をアイドルに戻すが、女性を観る時に男性的な女性観で判断してはいけないし、アイドルであってもアイドルである前に人間であるということを忘れてはいけない。

人間というものは、誰しも間違いはあるもの。

間違いを犯さない人間がいるならば、私に是非とも紹介して頂きたいものです。

加護さんや、矢口さんを吊し上げにしたり火炙りにして喜んだりするのは人間としてどうか?

自分だって、いつ同じような目に遭うかもしれないわけだから。

会社で、自分が知らないところで横領事件が発覚して自分も共犯として逮捕されたりするかもしれない。

ネット上で、匿名だから安全だと思い、好き放題に人を叩いて、アカウントが凍結されて、ある日突然警察が来たり、民事訴訟を起こされる事もあるかもしれない。

冤罪で容疑者となって、名前がニュースで全国に放送され、実家の映像や、押収されたパソコンや、携帯電話の内容までスクープされて晒されるようなこともあるかもしない。

犯罪を許すとか、そういうことではない。

犯罪というよりも、社会的ルールや一般的な世間体の規範(ジェンダー)から外れてしまった人をいつまでも吊るし上げるような事はどうかな?という事である。

その一般的な世間体の規範(ジェンダー)というものも、男性だったら許されるような曖昧なものではないのか?

それはフェアじゃないし、男性とか女性という前に・・目の前の相手を同じ人間として尊重した上で向き合う事が肝要ではないのか?

人間というのは、誰だって間違いをするものだ。

その人間を間違いを許容しない社会、火炙りにして楽しむ社会に私はこれからも警鐘を鳴らしていきたい。

最後に。

私は保守的な立ち位置でジェンダーフリーを学んで、自分の欠点や至らなさを学んだ。

それが、今や人生のプラスになっている。

私も、古びた伝統や形式や規範に拘ったつまらない人間だった。

しかし、それが通用しなかったから二度も婚約して失敗した挙句に・・・結婚も出来ずに今日まで来ている。

伝統や歴史観というものを大切しながらも、違うものに対しても違った観点から評価し、時代と寄り添いながら生きていければいいかなと現在は想っている。

今回の私の幼稚な言論が、少しでも多くの人に幸せにつながれば自分としては嬉しい限りである。

皆さんの結婚観や、男女の交際等、加えてジェンダー的な悩みにも向き合っていければと想う。